東海道五十三次 四日目
平塚ー大磯ー小田原ー箱根湯本
歩行距離 三十キロ
一日の歩数 四万一千八百二十歩
夜中、ホテルの窓をひっきりなしに叩きつけていた雨粒も、朝起きてみると止んでいた。朝食付きなので急ぎ支度をし、食事をして、朝九時に部屋を出る。今日も天気予報は一日中雨だ。
ホテルを出る時には止んでいた雨が、国道一号線に出た時には、ぽつりぽつりと頬を叩くようになり、平塚を出て大磯に差し掛かるころには、大きな雨粒となり、アスファルトの上を跳び跳ねる。
海岸に近づいて来たためなのか、風も強くなる。時折突風がカサを下から巻き上げ、慌てて風の反対側に体の向きを入れ変える。ヨットの帆を裁くように。
大磯には明治の政治家がこぞって別荘を建てたという。趣ある邸宅の門構えを東海道の隙間から、時折確認することができる。
雨風の強い日は、考え事をする余裕もない。ただひたすら無心に濡れないように、カサを風に取られないように、風の方角に体の向きを合わせながら、ただただ足を一つずつ前へ進めることに集中する。
そのようにしながら、それでも考えたこと。それは、その時々でコンディションは違っても、足を止めさえしなければ、少しずつ前には進む。そしていつか、考えてもみなかった遠くにまで自分を運ぶことができる、ということだ。
新しい靴は素晴らしい成果をもたらした。昨日は常に足の痛みについて考えていた。三万九千百二十九歩、足をつくたびに激痛が走った。今日は四万一千八百二十回足を運んだが、思考が停止するほどの痛みは無かった。おそらく疲労から最後の一万歩ほどが、両足のかかとに出来たマメの存在を思い起こさせる程度で、このままでは、かかとが砕けてしまうのではないか、といった恐怖はなかった。
小田原の町に入る手前、酒匂川の橋の上から、小田原城の天守閣がうっすらと見えた。ような気がした。あの麓まで辿り着くのだと、気を急かし、せっせと、せっせと、足を運ぶのだが、いくら近づいても城が大きく見える気配がない。そろそろ、最至近距離になるはずだと思う頃になっても、城の存在をまるで感じることはできず、結局、東海道に面した八百屋さんの店先で、通りの反対側にたまたまできた空き地と空き地の隙間から、物見櫓のような、白い塗り壁のようなものが見えただけだった。つまり、小田原城下の東海道からは、小田原城が見えない、という、悲しい事実を知ってしまった。
小田原から箱根湯本に向けての道筋は、もう数え切れないほどの回数を、車で行き来しているが、東海道の本来の道筋は、一本奥の鄙びた風情ある街道筋を上る行程となっている。
すると、大型観光バスが群れをなして押し寄せる、巨大なかまぼこ屋さんや、コンビニや自動車販売店などと言った、極めて現代的な産業の勢いに圧されることなく、一歩一歩着実に自分の歩幅で前に進んでいくことができる。そこには明日の箱根路を予感させる山あいの音があり、自動車の掻き立てる喧騒から少し間を置いて、山肌を滑り落ちてくる、瑞々しいイオンを感じることができる。
車だとほんの一瞬でしかない距離を一時間半ほどもかけて、ようやく箱根湯本の駅が見えてくる。駅の反対側、左手を流れる川筋に沿って、本日泊まる宿が見えてきた。恐らく、この旅で唯一の温泉ホテルだ。
いよいよ明日は箱根峠越え。前半の一つのクライマックスだ。温泉に入り、溜まった疲れを落とし、明日に備える。
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