東海道五十三次 五日目
箱根湯本ー箱根ー三島
歩行距離 三十四キロ
一日の歩数 四万六千七百七十三歩
箱根の上り坂
箱根湯本の駅手前から、左折したところで、箱根へ向けての上り坂が始まる。旧東海道は箱根駅伝で走る道とは異なり、左手の山あいを進む。
並行して箱根新道が走る。途中出入口が設けられており、そこから吐き出された車が、旧道の細い一本道を行き交う。交通量は想像よりも多い。一分間一台の車も通らない、ということはない。
いきなり始まる上り坂の勾配はかなりのものだ。歩き始めで元気な時だから良いが、そうでなければ心折れるかもしれない。いちに、いちに、と心の中で数えながら足を運ぶ。みるみると箱根湯本の町が小さく谷間に埋もれていく。
歩道が無いため、道の右側を歩く。左側を歩くと後ろから追い越される形になる。左側は山側になるので、気持ち箱根へ上る車線の方が、下る車線より狭い。また、右側の方が、前方から迫る車が確認しやすい。とは言え、前方から下って来る車の速度は上りよりも早い。コーナーの途中ですれ違う時は、わざと見えるように中心よりを歩く。東京の郊外を走るひどい車は、わざと猛スピードで寄せてきたりして、嫌がらせをするが、ここではあまりそのようなことをする車はいない。しかし、ときおり大型車が後方からエンジン全開で上ってきて、後ろに爆音が迫ると、ヒヤヒヤしながら音との間合いを取り、爆音に首をすくめてやり過ごす。
つるつるの石畳ですべりまくる
急斜面を登りきったところで、いきなり石畳が現れる。入り口を見落として途中から少しだけ歩いてみた。雨に濡れた石畳はツルツルでよく滑る。靴底によってしっかりと噛むものもあるが、全く滑らないということはない。この後、この石畳には何度も痛い目にあう。
舗装された旧道を少し歩くと再び石畳が現れる。
石畳の意味を考えてみよう。山登りをすればわかるが、土むき出しの山道は、何もしないと雨で徐々に削られていく。雨が何度も流れることにより、その流れが小さな溝を作り、その溝をさらに次の雨がえぐる。木材を組んで階段状にしたは良いものの、その階段の意味をなさなくなっているスカスカな状態は、山中でよく見かける。
ここに石を組めばどのようになるだろう。石は重みで下に沈む。石垣のようにしっかりと組むことによって、隙間に土が流れ込み。石はその重みで踏み固まる。石を置くことによって、道が消失するということはなくなる。
実際に箱根の石畳を歩いてみればわかるが、その隙間を埋める土は流れても、石と石が組み合わさって、斜面を固めている。登山道でよく見かける、えぐられた、とても歩けない溝のようなものはできていない。
石にも滑るものと滑らないものがある。例えば、三嶋大社の入口付近に使われている石だ。表面が多少ざらついており、革靴のような底のツルツルしたものでも、しっかりと噛む。
雨でよく滑るあぶない箱根の歩道
その点、箱根周辺の歩道は何も考えられていない。薄く切り取られたよく滑る石を、コンクリートの上に貼っている。滑るので人が歩かないところには、苔が生える。すると滑る石が余計にツルツルになる。歩道なのに歩けないので、車道を歩くことになる。
旧東海道はかなりのスピードで車が行き交う。事故も多いはずだ。しかし、歩道が滑るので車道を歩かなくてはならない。ときおり石が貼っていないところがあると、コンクリートがむき出しなので、滑らず安全に歩ける。本末顛倒というやつだ。
歩道を作った担当者は、雨の日の歩道を歩いたことがないはずだ。道路の整備に製造物責任は問われないのだろうか。定義上の製造物ではないかもしれないが、不作為の作為であるように思う。コンクリートの上に石を貼った方が、業者が儲かるから、少し箱根路らしい特別感を出しましょう、という業者提案をそのまま飲んだに違いない。どうせ誰も歩かないし。車で来て少し石畳を見て帰るだけだし、と。
石畳についてさらに言えば。昔はわらじで歩いたであろうから、幾人もの人々に踏み固められた石の上は、ある程度平準化されていたはずだ。毎日大勢の人が歩くから、重みで道全体が締まり、石と石との間が適切な噛み合わせ位置で固まる。また表面に苔がつくこともなかっただろう。今のように、ヌルヌルの小さな岩の上を渡り歩くような感覚ではなかったはずだ。
とにかく石畳は濡れてその上を覆う苔で滑るし、ツルツル滑る石のタイルを貼った歩道は、繁殖した苔でさらに滑るし、車道の端っこを仕方なく歩き、ときおりやって来る車の追撃に怯えながら、箱根の山を越えた。
命の危険を感じたので国道の歩道を歩く
静岡県側の下りは、滑落したくないので、山道を諦め、国道沿いを歩いた。神奈川県側と異なり、歩道にタイルが貼っていないので、時速百キロを越える速度でコーナーに突っ込んで来る車を、避ける必要もない。しかし、その歩道も普通の歩道ではない。誰も通らないし、整備もしないから、草ぼうぼうだ。身の丈ほどに生い茂った歩道上の草をかき分け、草に含んだ露を全身に浴びながら、霧雨の中、果てしなく終わりのない歩道を歩いた。国道は蛇行しているから、おかげで三キロも余計に歩いたことになる。
インスタ用の石畳
静岡県側はそのようなわけで、神奈川県側よりはマシではあったが、最後市内に入る手前で、ほぼ平坦な並木道が突然石畳に変わり、これには閉口した。なぜ平らな歩道の上に、ボコボコの石を並べてしまうのか。なぜ石畳なのか、ということを何も考えていない。疲れ切った足がさらにダメージを受け、市内の平坦な道に帰って来た時には、アスファルトのありがたさを足裏でしかと感じた。
鈴鹿まではもうこのようなことはないと思うが、石畳を作れば観光客が見に来るので良い、という安易な考えは持たないで欲しい。そのようなことを考え続けた一日となった。
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