副業を考えるとき、 投資のポートフォリオに置き換えて考えると分かりやすい。
投資の鉄則に、卵は一つのかごに盛るな、というものがある。
ひとところに卵を重ねて置くと、カゴをひっくり返した時には、すべてが失われる。
置く場所は分けておいたほうが安全だ、というものだ。
これに例えると、投資するときには、外国株式、国内株式、 海外債券、公社債などに分散して投資したほうがよい、となる。
この観点からすれば、一つの企業で働き続けることはリスクだ。
分散投資か集中投資かは、その人の考え方に依存するので、 どちらが良いとは言えない。しかし、投資される側からすれば、 できるだけ多くの資産を自分の会社に集中投資してほしい、 ということになる。
従って、会社が従業員に対して、副業をするな、 ということは理にかなったことで、自然なことだ。できる限り、 自社の業務に集中して、利益を生む行為をしてほしい。
一方、従業員の立場では、 できるだけ自己資本を分散投資したほうが、リスクは減る。 これは、自己の労働力を提供することにとどまらず、 不動産の運用、資金の運用、ありとあらゆる「資本」 の分散に通じる。
しかしながら、利益を上げるには、 最終的にはある時点で、一点に集中投資することが求められる。手持ちの資本を全て注ぎ込んでこそ、利益を最大化できるのだから。ポートフォリオの組み替えはなかなか難しいものだが、資産の性質に合わせて、集中投資の時期をずらせば、 それぞれの副業で、それなりの成果を得ることができる。
そうした観点から考えると、常に機敏な対応を行うためには、ポートフォリオに多様な要素を含むべき、ということになる。これこそダイバーシティーが現在の社会で求められている理由ともなる。
新しい潮流は常に本流から外れた異端から産み出される。民主主義に求められる、異なる意見を尊重するという原則は、ここからも、理に適ったことであると言うことができる。
初めから持てる選択肢を捨て置くという手はない。広く総合商社のように守備範囲を広げておいて、集中すべき時に、集中すべき分野に投資すれば良い。これは、自己の労働力を提供する場合にしても、 資産運用をする場合にしても、原則的に変わらない。
日本の場合には、 あまりにも過度に人的資本が集中固定化し、移動しにくい。 その背景には一所懸命が美徳とされる文化があり、 そのため、何もかもが変わりにくくなっている。悪く言えば、日本人の一所懸命は、ただの面倒くさがり、とも言えるかもしれない。実際にやってみればわかるが、常にいくつものまるで違うことを同時並行して行うマルチタスクは、なかなかしんどい。どんなに大変かは、子育て中の働く女性を見ていればわかる。働くお母さんは常に副業状態だ。
変わり身が早いという言葉は良い意味で使われることはない。しかし、変化できるものこそが、生き残っていくことは、 自然界の法則として明らかだ。明治以前であれば、 日本が変わらなくても生きて来られた。 島国で他国からの干渉もない環境があったからだ。しかし、 江戸時代の鎖国が成立した状況と現在とでは、 明らかに環境が異なる。
地球上の時間的距離が狭まる中で、日本も変わらないと、 世界の潮流からますます遠く離れていく。しかしながら、 このままガラパゴス諸島の珍獣のように、 日本が生き残るということも、 一つの戦略なのかもしれないと、 最近は思うようになった。もちろん生き残るとは限らない。ガラパゴスは運が良かっただけで、ほとんどの場合、変化できないものは絶滅するのだから。日本企業の作る携帯電話は、世界市場では見事に絶滅した。