Just do it !

踏み出そう。やってみよう。考えるのはそのあとだ。


モンゴル 舗装路、土道、草原の道

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 ウランバートルの空港から市内への道は素晴らしく舗装されている。とても快適だ。でも市内に入ると、ところどころ気になるところが目につく。車の走る道路は舗装されているが、歩道は整備されていない。車優先の社会だ。

 市内を歩いて気付くのは土埃まみれになった車が実に多いということ。その汚れかたは尋常ではなく、絶対に車体にはさわりたくない。白いシャツを着て近くには寄りたくないレベルの汚れかただ。

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 その理由は、首都から遠く離れたツーリストキャンプのゲルを訪れてみてわかった。モンゴルの道は国を貫く背骨のような道は舗装されているが、そこから枝分かれすると、全て土道なのだ。

 草原の草の上を何台もの車が通ることで轍ができる。そこがやがて枯れ果てて、土が剥き出しの道となる。その過程では日本の河原でよく見かける河川敷の轍のような道路が出来上がる。しかし、ある段階を越えると、一気に道が砂漠化する。坂になったところでは、雨が降ると、轍はより深く小さな川のようになる。すると、その深く切れ込んだ箇所をはずして走るようになるので、そのすぐ脇の草原を走るようになる。やがてその辺りの土道がより拡大する。その繰り返しで、草原のある斜面には、高速道路ほどの幅の土道が出現することになる。急勾配をツルツルの土道で走ることは恐ろしいので、ブレーキをかけるため、余計に土がえぐれ、草原の草がむしり取られる。

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 とはいえ、草原を車で走ることは爽快だ。後部座席に座っていてもそう感じる。運転していると、気は抜けないものの、楽しいことだろう。四駆の車が多く走っているが、そのわけは舗装路を外れてみて、よくわかった。日本ではお金を払って走る四駆用の競技施設のようなところが、一般道路として国全体に存在している。また、雨でも降れば、それまで通れていた場所も、簡単に通行できない荒地と化す。

 日本の草原は、木が生えていたり、岩も転がっていると思うので、なかなか普通の車で踏み込むことには勇気がいる。しかし、モンゴルの草原は乾いた大地で、草も馬や牛や山羊が食べ続けているので、生い茂ることがない。プリウスはモンゴルで最も多くみられる車だが、草原や土道をすました顔で走り回っている。

 東海道や中山道を歩きながら、道がどのように出来るのかをずっと考えてきたが、モンゴルの草原でその過程が理解できるようになった。日本国内に、もはやその過程が可視化される場所はない。

 東海道と中山道が合流する草津宿から琵琶湖に沿って京都方面への道が伸びるが、当時は宿場を外れると、草木の生い茂る閑散としたところだったであろう。その様子は江戸時代の絵師たちが、街道の風景を残しているので想像ができる。さらに遡って、飛鳥、奈良の時代には、江戸時代に整備された宿場さえもなく、本当にひっそりとした寒村が点在する地域であったことだろう。

 モンゴルの草原を走りながら、いつしか道の成り立ちを辿っていた。