公園にとても気になるベンチがある。
とても景色の良いところにあって、時々そこに座ってぼんやりとする。
そこが心地よいのは、景色が良いからなのだが、それだけではない。
それは寄付されたベンチのようで、そのベンチには、寄付した人のメッセージが彫られている。
そのようなベンチはいくつかあるのだが、中でも一つ気に入っているものがある。
みんなに会えて良かった。ありがとう。
そのようなメッセージだったと思うが、そこに家族らしき名前が刻まれている。
人は何かしら生きた証を残したいと考えるのかもしれない。
公園のベンチを寄付して、そこに家族とともに生きた想いを刻む。
とても良いと思った。
家族に囲まれて、幸せな人生だったことが、そのわずかな文字から伝わってくる。
穏やかな春の日の午後に、そのベンチに座っていると、背中からお尻から、暖かいものに包まれる。その場所が特別なものに思えてくる。
大きな建造物を建てるわけではない。銅像や顕彰碑を立てるわけでもない。
それほど長くはない期間が経てば、撤去されるであろう椅子。
想い出さえもいく年か過ぎれば、人々の、家族の記憶からも消えていく。そんな存在の儚さ、脆さまでも、そのベンチは内包している。
そんなベンチが公園のいくつかの場所に置いてある。そんな公園は、良い公園だと思う。