昨年春ごろに一度東京都心の広尾駅からそう遠くない、白金と恵比寿の中間地点あたりに引っ越した。子どもたちが小中学生の頃、麻布十番に住んでいたのだが、以前の家の近くには良い物件がなくて、少し離れたところに家を借りた。
なぜわざわざそのようなところに家を借りたかというと、以前の生活がとても楽しかったからだ。子どもたちの学校も近くにあり、運動会や参観日などには出かけていた。
都心にはいろいろとイベントも集中していることもあり、六本木ヒルズやミッドタウンなどでは、常に何かしらのイベントが開催され、また、お正月には箱根駅伝などもあり、沿道まで家族で見に出かけたりしていた。
なので、子どもたちが家を出て独立した後、以前住んでいた都心に引越して、今度は夫婦でいろいろと楽しいことをしようと考えていたのだが、いざ始めてみると、考えていたようにはならなかった。
結局、楽しかったのは、子どもたちがいたからだった。子どもたちを連れて遊びに出かけることが楽しかったのであって、一人で出かけてもそれほど楽しいわけでもないことがわかってしまった。それでも、妻が一緒なので、妻が楽しそうにしていれば、喜びはあるのだが、以前のような楽しさは残念ながらない。
これは家にも言えることで、子どもたちが出て行った後の家は、同じ家でもまるで違った家のようだ。
母は実家の居間に、家族写真などを数多く並べており、行くたびに、邪魔くさいな、と思ったりもしていたが、子どもたちが皆出て行ってしまった今、その気持ちがわかるようになった。
家はそこに住む人がいるから家になる。
子どもたちが独立して初めてそんな言葉が心に響くようになった。
私は家族の形態に合わせて家を変えてきた。夫婦二人になった今では、二人分の小さな家に住んでいる。合理的ではあるのだが、その家に子どもたちとの思い出はない。
経済合理性だけを考えると、小さな家に住み替えることは、間違いではないのだが、これはこれでとても寂しい。
家は金融資産とは違って、家族との思い出を貯めていく器でもある。
長く住んでいる家のある人は、ぜひその家を大切にして欲しいと、最近は思うようになった。