レジ袋をゴミ袋として受け付けない自治体があるなんて
今朝、新聞を読んでいて、驚きました。レジ袋にゴミを入れて出すと、引き取ってくれない自治体があるとのこと。宮城県の方の投書で知りました。
少なくとも、東京の練馬区と港区ではそのようなことはありません。なので日本中同じだと思っていました。でも地域によって違うのですね。びっくりしました。
ゴミ袋として使えるレジ袋をゴミ袋として使わせないことの背景には、ゴミ袋を作っている指定業者への配慮があることでしょう。
自治体とすれば、ゴミ専用に作ってもらう以上、使ってもらわないと困るという気持ちがあることはわかります。でも、それは東京都でも他の地域でも同じこと。
全体の最適化を考えれば、これは本来作らなくても良いはずのビニール袋を作って、無理に買わせる行為です。このようなことを自治体が推し進めていいのでしょうか。
ゴミ袋として使われない袋は、そのままただのゴミになります。であれば、有料化して総量を減らす、ということになるのもわかります。
しかし、そもそもの前提が地域によって違うのであれば、まずその前提が適切なのか、検討する必要があると思います。
ゴミ袋として、ゴミを入れて出せないのであれば、レジ袋はただのゴミになります。ゴミ専用袋を使わせる前に、すでに使われているレジ袋の受け入れを進めるべきでしょう。これはおかしい。
そこに癒着はないのでしょうか
日本の国は、同じようなことが多い気がします。制度のための制度。その背景には業者との癒着があるのではないかという気がしてきます。
速度違反で捕まったときに、標識見えなかった?と警察官に聞かれて、見えませんでした、と答えた記憶のある人がいるかと思います。
聞いた話で真偽の程はわかりませんが、警察はその声を集めて、道路標識や信号を発注していると聞きました。その会社で警察OB関係者が働いている、とも。
青色LEDが発明されて、信号機をLEDに変えませんかと、発明者が信号機の会社に営業に行ったら、メンテナンスが必要なくなるので困る、と言われたと、答えているインタビュー映像を見たことがあります。
新時代を切り開いた島田、金谷の人々
東海道五十三次を歩いたとき、大井川を歩いて渡りました。
江戸時代は人が担いで旅人や荷物を運んだ大井川です。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれた難所です。
大雨が降ると、足止めとなった旅人の滞在費が町を潤したそうです。
明治の時代になって、船で渡れるようになり、川渡しの仕事をしていた人たちは、職を失いました。
しかし、その人達は、牧之原台地を切り開き、そこに広大な茶畑を作り上げました。
時代に合わせて変わっていくことの重要性がそこから学べます。
何が正しいことなのかは、やってみなければわかりません。
ですから、一度決めたことでも、それが時代にあっていないかもしれないと思えば、別の方法を試してみるべきなのです。
どこかの新聞社で特集しませんか
先日、ある雑誌で、レジ袋は有料化すべきか、というアンケートを集計した記事があり読みました。
でも、その前に、レジ袋をゴミ袋として使うことを締め出している自治体がどれくらいあるかを調べたほうが、有効なのではないかと思いました。
ゴミ袋として使える自治体に住んでいる人と、そうでない自治体に住んでいる人とでは、レジ袋の意味がまるで違うからです。
自治体の指定ごみ袋が、レジ袋のゴミ化をうながしているとしたら、そちらのほうが問題です。
ついでに、レジ袋で汚染されている地域と、自治体がゴミ袋としてレジ袋を引き受けていない地域とが、重なるのか。どこかの新聞社で調査してくれないでしょうか。
こうした地道な調査こそ、新聞社にしか出来ないことのような気がします。
日本全国どこもかしこも同じと思ってはいけないと、今朝は反省至極でございました。
追記
財政の厳しい岡山市では、一枚50円で袋を買わないとならないようです。東京では粗大ごみにはシールを買って貼りますので、同じようにシールなどを貼って出せば済むだけなのに、わざわざ別にゴミ袋を買わせて、それで出さないと引き取らないというのは、エコロジカルではないように思います。
粗大ごみの廃棄の問題にしても、ゴミの放置の問題にしても、行政はなんでも財政上の予算不足を理由に上げますが、単に工夫をしてみようというチャレンジ精神に富んだ人が評価されない仕組みだから、誰も手をつけようとしないのではないか、と思うようになりました。
くまモン以外のゆるキャラがうまくいかない背景には、同じような理由があるような気がします。