Just do it !

とりあえずやってみよう。考えるのはそのあとだ。


朝のラジオ体操

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朝の公園で毎朝ラジオ体操が行われているのを知っているだろうか?おそらく少し広い公園なら、どこでも見られる光景ではないかと想像している。

朝のラジオ体操は、子供のころ夏休みに毎日ハンコをもらうために参加していた人が多かったと思う。そのころ参加していたような人たちが、今では毎朝揃って六時半から体操をしている。

朝の体操は身体に良いこと間違い無いので、なんら否定することはないが、参加しない私はいつもその横を居心地悪く通り過ぎて行く。

みんながみんな参加するわけではなく、誰かが強制するものではない。しかし、ここに日本人の同調性を見て、忖度する文化、周りを見て動く人々を作る文化的な背景を、とても強く感じるのだ。

私も音楽に合わせて動きたくなる。みんなと一緒に体を動かすことは楽しいことだ。なんとなく束の間の一体感も得られる。そんな気分になって、何度か体操に参加したこともある。そんなとき、私も日本人なんだなとおもう。

平壌でマスゲームを見たことがある。日本人からすれば、強制的にあんなことをさせられて、なんて可哀想な人たちだと思う、と思う。

でも、現地でマスゲームを終えて帰路につく人たちは実に楽しそうなのだ。信じられないかもしれないが、本当のことだ。

子供たちはトラックの荷台に積まれて、会場まで運ばれて、と書くとなんと悲惨なと思うが、そんな悲惨さはなく、帰り道、トラックの荷台から子どもたちは楽しそうに自慢げに私たちに手を振ってくれるのだ。

観光客向けに笑顔を作る大人たちは大勢いるが、作り笑いと本心からの笑顔は隠し用のないもので、見ればよくわかる。

あの笑顔はラジオ体操の楽しさと同じ種類のものだと私は感じている。

年老いた母などは、毎朝公園のラジオ体操に参加して、同年代の人たちとしばしのおしゃべりをすることが、その日一日の大きな楽しみとなっている。父が亡くなり、一人で家にいれば、公園のラジオ体操でしか、人と話す機会もない。

サッカーの熱狂もこれに近いのかもしれない。なんだかわからないが、一体感を得られる。でも、これを利用しようとする人たちもいる。

気をつけないとね。