Just do it !

とりあえずやってみよう。考えるのはそのあとだ。


孫を腕に抱くとき、どんなことを考えるのだろう。若くてイキノイイひとたちばかりのブログの世界。老成したひとやおっさんはそこにいるのかな。

 生まれてからしばらくの間は、親がかかりっきりで、自分の面倒を見てくれます。しかし、当時の自分に、親の世話になったという感覚はそれほどありません。何も出来ない赤ちゃんは、親に世話をしてもらわなければ、生きていけないですし、それは、あたり前のこととして、受け入れていました。

 自分が親になると、赤ちゃんの世話が、こんなにも大変だったのか、ということを思い知らされます。赤ちゃんが寝ているときだけが、自分の休息時間。少しでも気分の悪いことがあると、赤ちゃんは泣き叫びます。自分もそうだったのでしょうが、そのような自分の感情の細かいことまでは憶えていません。赤ちゃんは言葉が話せないので、泣いたり笑ったりして、その理由を知らせようとします。その表情と泣き声を読んで、次に何をしたらよいかを考えます。

 仕事があってもなくても、赤ちゃんのことは最優先事項です。どんなに重要な会議が会社であっても、赤ちゃんが高熱を出せば、一人で家に残すわけにはいきません。妻や両親や兄弟や、ありとあらゆるつてを使って、対応してくれる人を探します。見つからないときは、たいてい、お母さんが犠牲になります。妻が世話出来なければ、その日の仕事は諦めて、自分で世話をするしかありません。

 赤ちゃんの鳴き声には、人の感情を動かす、初めから組み込まれたプログラムのようなものがあるのでしょう。電車の中や、お店の中で、赤ちゃんの泣き声が聞こえると、皆が振り返ります。どうしたのだろう、大丈夫かな。赤ちゃんの声に反応しない人などなく、その裏返しの感情として、うるさい、と舌打ちする人も、中にはいることでしょう。やはり、何かしらの感情を掻き立てる仕組みが、赤ちゃんの声には仕組まれているのです。

 赤ちゃんを自分の腕に抱いていると、世代が一回転したことを感じます。自分の子どもが孫を抱えて遊びに来る日がやってくると、二回転したと思うのでしょうか。三回転目を見届ける前に、たいていの人は、この世から去って行きます。

 孫を腕に抱くというのは、どのような感覚なのでしょう。まだ経験をしていないので、想像しかできません。命が繋がった安堵感なのでしょうか。遠い昔、自分が若かった頃の、自分の子どもを腕に抱えていたときのことを思い返すのでしょうか。 

東海道五十三次 十八日間 ひとり歩き: ロングトレイル 600キロ

東海道五十三次 十八日間 ひとり歩き: ロングトレイル 600キロ