毎朝公園で笑い合う人たちがいる。笑うというよりは、笑っているような声を出して、無理に笑っている時の筋肉の動きを再現している、と言ったほうが正確だろうか。
人は笑っていると、楽しい気持ちになる、という説がある。笑っている自分の笑い声を聞いて、理由もなく楽しくなる、ということらしい。確かにおかしなことには違いない。
おそらく、公園で大声で無理して笑い合っている人たちは、笑うことは健康に良いと言われて行っていると思うが、みんなで公園で大声を出している状況は、このような目的を理解していない人から見たら、とても恐ろしい。
これは文化的な習慣にも言えることで、イスラムの人たちが、地面に這いつくばってお祈りをしているのを見ると、決まった時間に礼拝しなければならないということを知っていれば理解出来るが、知らないと笑い合っている人たちを見ている時と同じように、恐ろしく感じることだろう。
たとえ頭で分かっていても、やはり目の前で笑っている人たちを見ていると、やっぱりおかしいと思うし、そんなことするなら、落語やお笑い番組でも見た方が、心からこみ上げてくる笑いになって、より健康に良いと思うけれど、それを人様に意見するほどのことでもないので、横目に見て通り過ぎる。
そんなことを思っている私も、神社へ行けば、二度お辞儀をした後で、二度手を鳴らし、また一度お辞儀をしているが、これも海外から来た旅行者などが見れば、何をやっているのか、と思われる。
それでもなんとなく、神社へ行けばパンパンと手を叩くし、お墓参りにも行く。
お墓の前に行ったところで、そこにあるのは骨壷であり、その人ではないことはよく分かっているが、なぜか墓参りをする。
自分でもなぜだかわからないけれど、なぜか落ち着くから、としか答えようがない。
よく考えると不思議な習慣というのは多い。