熊谷宿
熊谷と聞けば、暑い町という印象が強いと思うが、まだ四月の上旬であったため、とても寒かった。
駅の階段を降りると、北風が吹きつけ、東京よりも空気が冷たい。
朝7時半に熊谷駅前を出発。通勤の人たちが駅へ向かい、また、駅から歩きはじめる人もいる。
浦和までは東京方面へ向かう人が圧倒的に多いが、熊谷までくるとそうでもない。
中山道は国道十七号線と重なり、広い歩道は歩きやすい。
時々旧道が十七号線から逸れて斜めに離れていくが、しばらくすると、十七号線と合流する。
あたりの風景はなにも変わらない。
何もない。
ただの田舎道をひたすら歩く。
ウォーキングの大会に参加していると思えば、どうということはない。
深谷宿
深谷の宿に入る。
特に変わるものはない。
ひたすら黙々と歩く。これで深谷の宿はおしまい。
常夜灯があるのでまだ良い。
深谷宿を出てしばらくすると、中宿古代倉庫群跡の近くを通る。
トイレ休憩も兼ねて、中山道から少し逸れて、右に坂を下りる。
年貢を保管するための、校倉造りの倉庫が並んでいたそうだ。
公園を出て、中山道と交差する交差点に戻り、小山川にかかる橋を渡る。
黄色い花が中洲に咲き乱れている。
風に吹かれて気持ち良さそうだ。
水鳥が数羽、川の上に群のまま浮かんでいる。
橋の上からは上毛三山が見渡せる。
中山道を歩きながら、秩父の山は時々見えていたが、正面に山が見えるようになってきたのは、深谷のあたりからだ。
江戸を背にして、左手にも、正面にも山々が見えると、江戸から随分と離れたところまで歩いてきたことを実感する。
この風景を、戸田や浦和、大宮などの風景に重ねれば、埼玉県内には、書き留めるべき事柄が何もなかったとしても、不思議なことではないと、考え直した。
橋を越えて川沿いの細道を歩くと、やがて古めかしい馬頭観音やら石像などがまとめておかれているところがあった。
川から離れて、再び町中へと戻る。
本庄宿
しばらく歩くと本庄の宿だ。
本庄宿は中山道の宿の中でも、規模の最も大きい宿であったという。
中山道から分岐し、富岡、下仁田、荒船山方面へと向かう、下仁田街道が伸びている。
本庄の町を出てしばらくすると、神流川(かんな)川が見える。
この神流川の橋は、結構長い。
神流川を渡ると群馬県に入る。
新町宿
神流川橋を渡ってすぐのところにあるのが新町宿だ。
新町宿には、明治天皇が宿泊した平屋建ての建物が残されているが、本当にここに明治天皇が宿泊したのかと思える質素な建物だ。
新町宿は大きな宿であった本庄の宿の隣にある。川と川に挟まれた位置にもあることから、当時は川越しのタイミングを計るための小さな宿であったのだろう。
ほかに理由が思いつかない。
新町宿を過ぎると、やがて鳥川のほとりに出る。
鳥川は利根川から分かれた支流だ。
その名の通り、川の土手道を歩いていると、鶯の鳴き声が聞こえてくる。
遠くの水辺でも、鳥の鳴く声が聞こえる。
風が強く前から吹き付け、全身が押し戻される。
今日は一日中、進行方向からの向かい風が強く吹いている。
土手道は遮るものが何一つない。
前方に見える山から風が吹き降りてくるのだろうか。
これが上州の空っ風か。
鳥川を渡り、左折する。
しばらくすると、立派に整備された県道に出る。
倉賀野宿
今朝、歩き始めた時は、高崎までを目標としていたが、本日は一つ手前の倉賀野宿までにすることとした。