Just do it !

とりあえずやってみよう。考えるのはそのあとだ。


多国籍の環境では出来るのに、日本人の中ではシュートできなくなる

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まわりの人から期待されることがある。あの人はきっと期待に応えてくれるに違いない。人は他人に自分の想いをのせて期待通りの結果を祈るが、それが実現する時と、実現しない時がある。

コスタリカ戦などは、ドイツ戦で勝ったものだから、当然勝てるに違いないと思い込み、実際に日本チームは優勢にゲームを運んでいたから、期待をかけることが、必ずしも過度な期待であったとは言えない。でも、結果として負けた。

ドイツ戦に出ていなかった選手は、ここで結果を出そうと躍起になっていたようにも見えたが、結果として得点できなかった。

ドイツ戦で得点した二人もまた同じように決めてくれるに違いないと、日本中からの熱い視線を浴びていたと思うが、結果的に得点ができなかった。

試合当日の解説の中で、ラモス瑠偉さんが、今のメンバーに加えて現役時代のストライカーの釜本さんがいれば勝てる、と話していた。

コスタリカ戦のことだか、スペイン戦のことかはっきり憶えていないが、そう見ているのか、と思った。

かつての日本代表はパス回しを続けて様子を見るばかりで、自分で点をとりにいく選手がいないと言われたものだが、今の選手たちはそうではないと考えていた。

でも、確かにメッシやネイマールのように自分で切り込んでいける選手がいない。

結局、相手の守備が固いとその周りでボールを回すだけで、逆に隙をつかれて負けてしまった。

試合の途中に流れる広告も、みんなで、とか、ワンチームとか、日本人が好むワードが散りばめられて、私はすっきりしないものを感じていた。

その中でも、ドイツ戦が終わった後で、自分が決めようと思っていたと発言した選手がいて、私は彼に良い印象を持ったが、そう主張しなくては突っ込んでいけないことの裏返しでもあり、コスタリカ戦が終わってみれば、やはりいままでと変わらない日本の負け方だった。

海外にいるときは、その国の人たちの中で、その国の流儀に合わせて行動できる人が、日本人の中に入ると、ワンチーム、みんなで、のモードになってしまうことは、私にも経験があるので良くわかる。

メッシやネイマールが自分が決めようと思っていたと発言することは想像出来ない。それが、当然のことだから。

毎日海外の人たちと仕事をしているので、日本代表の敗戦はまるで自分自身の敗戦のようだった。

長年染みついたあまり主張せず、まわりの様子を見て、大事なところだけ意見を言う、私自身はパス回しに終始する日本チームそのものだ。

会議の内容から多少外れようと意見を言うことが尊重されるムードが海外との会議では当然のようにあるが、私はつい黙って心の中で、会議の内容と関係ないだろうと思ってしまうが、案外そのような意見が効いたりすることがある。

シュートはとにかく打たなければ点につながることはない、とわかっていても、パス回しに終わってしまう。これをなんとかしたい。たぶん日本代表もみなわかっているのだと思う。期待されているのに、わかっているのに、出来ないときは、本当に辛い。