Just do it !

とりあえずやってみよう。考えるのはそのあとだ。


人は五十年生きても大して成長はしない

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経験を重ねることで、愚かな失敗を繰り返すことは少なくなるにせよ、自分自身が大きく成長したように思えないのはどうしてだろう。

出来ることは増えてきた。英語も多少わかるようになったし、世の中の仕組みも多少わかるようになって来た。就職活動をしていた頃に、もう少し社会の仕組みがわかっていたら、もうちょっとマシな生き方が出来たのではないかと考えたりもする。

でも、それは自分自身が賢くなったからではなく、たんに経験を積んで、出来事をパターン化して認識できるようになったからだ。何度か転職を繰り返し、うまく行ったり失敗したりして、失敗しない方法を見つけたからにすぎない。

つまり、私自身が少しでも賢くなったからわかるようになったと言うことではない。そのようなことはほとんどない。

思えば、大学生の頃、社会人はとても大人に見えた。しかし、自分が五十代の半ばを過ぎ、かつてじいさんのように遠い世界の人たちのように崇めていた人たちと既に同年齢になっている。でも、成長した実感がない。

若い人たちには信じられないことだろうが、五十代になっても考えていることは二十代のころとほとんど変わらない。お年寄りはさぞかし賢いに違いないと、私は若い頃考えていたが、二十代の頃とほとんど考えていることは変わらない。八十過ぎて会社の代表や議員をしている人たちは、自分自身が変わっていないのだから辞める理由などないと、たぶん考えているのだ。

しかし、年とともに身体的に出来ることが著しく少なくなってくる。考えたように体は動かないし、頭も回らない。鏡に映る自分は随分と老けた姿だし、白髪も目立つようになっているかもしれない。でも、鏡を見なければ、そのことさえにも気付かないのだ。

自己認識能力も落ちてくるし、忘れやすくなるから、次第に学習能力さえも失われていく。だから、最後は失敗を繰り返すようになる。でも、本人はわからない。多くの政治家が年をとって醜態を晒すのは、その手前で引導を渡す人がいないからだ。

還暦が近くなると、わからなかったことがわかるようになる。歳をとってわかるようになるのは、こうした人生の答え合わせのようなことだ。

初め四本足で、二本足になって最後は三本足になるように、誰もがこと老いに関しては同じような変遷を経ていく。

やりたいと思ったことは、すぐにすべきだ。人生そう長くはない。