義理の父が昨年コロナで亡くなった。もともと高齢で数年前から入退院を繰り返していたが、最後はコロナで天国の門を叩くこととなった。
コロナで亡くなると、お葬式ができない。病院でのお別れも、防護服に身を包み、ビニール手袋とゴーグルを付けての面会となった。ビニール手袋越しに握手をしたのが、義父との最後の別れとなった。
ご臨終となると、遺体はそのままビニール袋に包まれて、火葬場に持っていかれるようだ。お葬式もお別れの会もなく、次に会えたのは、骨壷に入った状態で、自宅に運ばれて来た。
私の父の葬式の時には、通夜を行い、葬式を行った。通夜では夜通し父の遺体のそばにいて、みんなで思い出話しをして過ごした。雑魚寝をするところがあって、遺体のすぐ脇で、兄弟とその家族みんなで十数人にもなるが、父の遺体に一晩中付き添った。これはとても良い時間だった。家族の絆を感じることのできた時間だった。
ところが、義父の場合、その時間がすっぽりと抜けている。病院と骨壷の間の記憶が喪失されたように感じてならない。最後の時間を噛み締めるということは、人の死にとってとても大切だと思った。実感が手のひらからすり抜けて、大切な時間を失ってしまったような感覚がある。
全国で同じような体験をしている人が日々いらっしゃることと思う。災害などで家族を失った方は、もっと急激な変化を体感しておられるのだろう。
人の死にも、迎えるべき順番というものがある。コロナはそうした別れのプロセスをも変えてしまった。