Just do it !

とりあえずやってみよう。考えるのはそのあとだ。


ネットの時代が人工知能の時代に変わるとどうなるのか

 

FAXが使えない人

むかし、FAXの使えない人、がいた。

今となっては、電話が使えない人、と同じくらい理解に苦しむが、実際にいた。

FAX送っておいて、と言いつけるおじさんが、なぜ自分で送らないのだろうと思っていたら、使い方がわからない、という。

きっとそれは言い訳で、偉そうにしたいからだ、自分よりも目下のニンゲンに命令したいのか、このおじさん、と、当時は思っていたが、自分がそのおじさんの年齢になってくると、あのおじさんは、ほんとうにFAXが使えなかったのかもしれない、と思うようにもなってきた。

正確には、いちいち新しいことを覚えたくないし、そのための学びもしたくない、ということだろうが。

パソコンの使えない人

その次に出てきたのが、パソコンの使えない人。マウスのクリックでポチポチすることはできる。でも、ワードやエクセル、パワーポイント、などは使えない。

でもこれもレベルの問題であって、学ぶ気さえあれば、その程度のことは誰にでも出来るようにはなると思う。

しかし、日常的に使う環境にいなければ、なかなか使えるようにはならない。

使える人と使えない人

自分自身が事務職なので、パソコンがなければ仕事にならない。仕事で使っていれば、徐々に周辺知識も増えてくる。

MSワンノートを、近くで使っている人がいたので、自分も真似して使い始めてみれば、とても便利で、もう手放せない。

でも近くの人が、それを使っていなければその便利さには気づかない。

実際、別の会社へ転職したときに、ワンノートが標準で装備されているのに、アクセサリーのメモ帳、を使ってメモを取っている人がいて、本当に驚いた。

これ使ったほうがいいですよ、とやんわりと勧めてもみるのだが、ふと見てみると相変わらず、アクセサリーからメモ帳を使っている、ということはふつうのコト。

人は長年慣れ親しんだ習慣から、簡単には離れることが出来ないものだと、つくづく思う。

追いつけない人

そうこうしているうちに、全く追いつけない位置にまで引き離されてしまう人、というのがでてくる。

事務職をしていると、PCを使うことは当たり前のことだが、全く使わずに一日の仕事を終える人もいる。

例えば、お店で立ち仕事をしている人。バスのドライバー、電車の運転手、客室乗務員、芸能人、スポーツ選手もそうかもしれない。抜きん出た資産家や、一芸を持ち、それだけで一生分の収入が確保できる人はいい。

しかし、それ以外の一般人が、ある程度の給料をもらえる事務職につこうと思えば、いまの世の中、パソコンが使えることは必須条件だ。

もちろん、普段は飛び回っている人でも、経費精算などで事務所のパソコンを使うことはあるだろう。

お店の立ち仕事がメインでも、自分で経営していれば、帳簿をつけたり、サイトを作ったり、いろいろと使うこともあるだろう。

しかし、本当に担当している立ち仕事だけを、長年切り取ったように担当していれば、全くパソコンに触らない生活というものも、成り立ってしまう。

例えば、お子さんがいて、パートでデパートの販売員をしていれば、特にパソコンを使う必要はないだろう。

仕事が終われば、すぐに保育園へこどもの迎えに行って、家に帰って夕食を作る。毎日この繰り返しをするしかない。

でも、それがこどもの成人まで、十年、二十年続くと、そこから、時代の最先端の職場までの距離は、とてつもなく遠くなる。

パソコンの普及から二十年以上が過ぎた

ウィンドウズ95の発売で、パソコンが職場で一気に普及した。そしてあれから二十年がたった。

バブルの頃、商社や銀行で働いていた一般職の女性たちは、結婚と同時に退職して、専業主婦になった。専業主婦としてこどもを育て上げたあと、いまの企業の中で、働くことができるのだろうか。

当時と変わらない仕事をしている人も、いることだろう。

バスツアーの添乗員さんがレポートをペンで書いているので、電子化しないのですかと、旅行会社の人に聞いたことがある。

パソコンを使える人と使えない人がいるから、紙のままにしている。手書きのほうが味わいもあるし、ということだった。

旅行会社は就職先として大変人気だが、意識してパソコンを使っていかないと、世界中を飛び回っているうちに、パソコンが使えない人になってしまう。

もしも別の仕事に移ろうとしたときには、難しくなる。その時、いったい何が出来るのだろう。

次の時代は人工知能なのか?

パソコンが使えればいい、というものでもない。次の時代には、次のテクノロジーがでてくるからだ。

現時点で予想される、時代を席巻するテクノロジーは、AI(人工知能)だろう。同じ流れでブロックチェーンもある。

しかし、AI(人工知能)を使いこなすとはどのようなことか。まだ具体的には見えてこない。

ポイントは、パソコンが使えなくても、AI(人工知能)を使いこなすことが出来るのか、ということだ。

ワープロで文字を打っていた人は、パソコンへの移行が簡単だった。

もしもキーボードの打ちかたから学び始めるとなれば、かなりの時間がかかる。

しかし、電話回線が普及していなかったアフリカ大陸では、携帯電話が一気に普及した、というし、電気自動車の普及は、名の通った既存の自動車メーカーのない中国が有利だ、とも言われている。

ただ、新しいテクノロジーが、従来のテクノロジーの延長線上にあるものであるとすれば、そこでの経験がないことのハンディーは大きい。

AIはどこまで行っても、処理速度が早いコンピューターでしかないから、パソコンが使える人と、使えない人とでは、使える人のほうが、馴染むまでにかかる時間は短いだろう。

すでに起きている未来 

テクノロジーを語る前に、すでに母語を学ぶ段階で、理解力に大きな差が生まれているという。書いてあることを読んで理解できないと、情報を共有することができない。

ブログよりもユーチューブのほうが、視聴されやすい、という背景には、この、母語が読めない、という問題があるのかもしれない。

しかし、むかしは日本語が読めない人がいた。

読み書きを学校で習うことが出来なくて、字が読めないおじいさん、おばあさんがかなりの割合でいたのだ。

それを考えれば、生まれたときから日本に住み、日本語の日常会話が出来ても、読解力のない人がいる、としても不思議はない。

外資系では英語が使えない=使えない人

外資系企業で英語ができないと、基本的に管理職にはなれない。

私がこどもの頃、英語の教師なのに、英語の話せない先生が大勢いた。

英語が使えなければ、戦力としては限定的だ。本社と関わる仕事にはつけない。言葉ができない人の扱いは、使えない人と同じだ。

従って、パソコンを使えない人は、使えない範囲の仕事にとどまる。

人工知能を理解できない人も同様だろう。

英語力は最低限必要な能力になる。

ついていけない人も、そのころには寿命が尽きていく。ニンゲンはそのようにして、命をつないできたのだろう。

まだまだ新しいことを知りたい、という欲はある。この欲が無くなることを、老いるというのかもしれないと、最近思う。

 

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