なんで高輪ゲートウェイ?
高輪ゲートウェイの駅名にほとんどの人が驚いているようですが、なんでも高輪の大木戸の近くだから、ということも理由の一つにあったそうです。
ここには、江戸時代、江戸市中に入る門があり、夕方になると閉めることになっていました。今でも高輪大木戸跡として残っています。
高輪大木戸は、東海道を日本橋から歩いたとき、最初に目にする、東海道の名残といえるモニュメントです。
目の付け所は悪くないと思うのですが、これを横文字にしてしまうところが、なんとも残念です。
幻の「高輪駅」
以前は、近所に住んでいたので、よくこのあたりを歩いていました。
地元の人達は、「高輪駅」にしようと考えて、ポスターなどを作り、活動をしていました。
江戸以前、山手線の外側は海で、陸地側の高台を道が通っていました。今でも田町の駅前から、高台にのぼる昔の街道筋が残っています。これを高縄原とよび、高縄(たかなわ)が高輪という地名になったということです。あの辺り一帯は、すべて高輪という地名なので、高輪が一番しっくりときますが、あまりにも当たり前過ぎて、すこしひねった名前にしたかったのでしょうね。
山手線高架下のトンネル
大木戸の近くに、天井高がとても低くて、まっすぐに立っては歩けない山手線高架下のトンネルがあるのですが、今回の新駅建設で、ここがなくなるそうです。
田町駅近くの、札の辻から北品川の御殿山まで、自転車や車で海側に抜ける道は、ここにしかないのですが、自転車で抜けるときなど、ここで亀のように首をすくめて、自転車のハンドルのあいだに頭を沈めて走りました。
海側には浄水場しかないので、鉄道用地と合わせて、ここ一体を再開発しようという目論見には、なるほどなとうなずけます。
便利なところをより便利にするのもよいのですが、不便なところをすこしでも便利なところにしてほしい、というのが、今の私の願いです。はやく大江戸線の延伸を進めてほしい、今日このごろ。