Just do it !

とりあえずやってみよう。考えるのはそのあとだ。


八重山諸島で、東京の生活を振り返り思う憂鬱

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 東京にいる時は、どこかへ行きたいと思い、どこかへ行けば、東京は便利で楽しいと思う。つまり、どっちもどっちなのだ。それはわかっている。

 しかし、旅先でしか考えつかないことはあり、また東京へ戻るとなかなか思い出せなくなるものなので、それを書いておこうと思う。

 まず、今の心境は重い。帰りたくない。帰ると仕事が待っている。この三十年間ずっとそのような週末を過ごしてきたので、今に始まった事ではない。しかしながら、過去の経験を振り返りみれば、もう数週間も経つと、今度はこの地への不満が膨らんでくる。すでにその萌芽は見える。

 映画館がない。大きなショッピングモールがない。島なので、行けるところが限られている。東京にいてもほぼ家とオフィスの間の移動くらいしかしていないのだが、その気になればいつでも地続きでどこかへ出かけられるという気分でいられることが、島にはない。隅から隅まで行ったので、島の大きさも分かっている。

 どこにいてもすることは変わらない。散歩するか買い物するか、本を読むかテレビを見るか。仕事があればパソコンの中をずっと覗き込むことになる。

 観光地はすでに行った。何度も訪れても仕方ない。東京にいれば日々刻々と様々なイベントが開催されているが、それを毎日追い求めている人などいないし、特にしたいとも思わない。

 東京の生活を振り返り思う憂鬱というのは、結局楽しみも苦しさも場所に依存しないということなのだ。今の仕事が嫌なのだから、どこへ行っても、何をしても、週が明けると嫌な気分になるのだ。では、仕事が楽しければ、週末も働きたいと思うのだろうか。

 一般的に楽しそうな仕事と考えられるテレビ番組の制作の仕事をしていたことがある。サッカーの中継の仕事など、したくてもできない人気の仕事だと思うが、土日は基本的に中継の仕事が入る。サッカーの試合を見ていても仕事だと言えることは、楽しいことなのかもしれない。でもそれは、自発的な行為からくる楽しさではない。私にとってそれは、限定付きの楽しさであって、本質的な憂鬱さを解消してくれることではなかった。

 では、仕事を辞めるとどうなるか。私は何度も経験しているが、辞めた直後は開放感で満たされる。貯金がある間はそれが持続する。しかし、ある時を境に、貯金が底をつくことへの恐怖のカウントダウンが始まる。恐怖を和らげるために、再び苦痛と引き換えに銭を手に入れる。その繰り返しだ。

 多くの人はこの憂鬱さを感じないらしい。私のこの感覚がわからない人がほとんどであることが最近になってようやくわかってきた。

 相変わらず成長のない生活を続けている。私は既に脱成長の時期に入っているのかもしれない。自分は本当に何かを学んでいるのだろうか。