本物の遊び人は、プロの女性と、すべてのカラクリがわかった上で擬似的な関係を愉しむと言います。
でも、素人の男性はプロの女性の手練手管に、薄々わかっていながら、どこかでその境界を見失い、自分自身もまたその海の中に溺れていくのでしょう。
素人の女性が、素人の女性の中に、プロの女性のその技術を感じたときには、強烈な嫌悪感を抱くようです。
それは男性が求める、理想の女性像を演じていながら、プロの女性ではないかのように振る舞う狡猾さを、感じるからでしょう。
マリックさんはあたかも超能力者であるかのように、手品を見せてくれます。そのネタの内容がわからなければ、それが手品であることを知らなければ、実際に超能力で起きたかのように感じます。
テレビ局のアナウンサーとして活躍された後、独立されてフリーになった、たなかみなみさんという元アナウンサーの方がいます。この方の出演番組を見ていると、どのような仕組みで男性が女性に惹かれていくのかが、よくわかり、いつも感心させられます。
テレビモニターに映る映像だけを見ていると、ついその画面に映るままの状態が、ありのままのその人であると錯覚します。
しかし、実のところは、大勢のスタッフが周りを囲み、照明で照らされ、大枠の台本は用意されている中で、自然な振る舞いとして見えるように、カメラマンに写してもらう技術は、卓越した技と言えるでしょう。
これはテレビ局のアナウンサーとして長年培われてきた技術の結晶と言えます。
私は二十代の後半、スポーツ番組の制作の仕事をしていたことがあります。
視聴者からは見えませんが、制作現場は、どのような場合でも、画面から感じるリラックスした雰囲気とは異なり、製作側にはかなりの緊張感が伴うものです。これは出演している側も同じです。
そのような重圧の中で、求められる役割をしっかりと演じ切ることのできる人は、本物のプロフェッショナルであると思います。
最近は、たなかさんも、製作側も、意図してそのプロフェッショナルな仕事の仕組みを、少し見せるようになっています。その解説などを聞いていると、マリックさんがネタバラシをしてくれたときのような感動を覚えます。
十年後か、二十年後かはわかりませんが、プロフェッショナルな女性の像を演じる役割が求められなくなったときに、どのような変身を遂げるのか、非常に楽しみです。
そのときには、プロジェクトXのような番組で、プロの女性を演じた女性として、特集を組んでいただけたら良いのにな、と今から思っています。