岡崎から名古屋の熱田神社まで、台風が来ていたため、ペースを上げて進んだ結果、腰痛になってしまった。その後の八日間、無理をして歩き続けてきたが、とうとう限界が来た。五十三次を歩き始める前、毎日十キロ、歩数にして一万数千歩は日々歩いていた。なので、運動不足ということではなかったと思う。しかし、結果的に腰痛が起き、帰路の中山道歩きは次回に持ち越しとなった。
背中に背負ったザックをどうにかしないと、東京までも帰れないので、キャスター付きのバッグを探すことにした。幸い、守山の先、近江八幡駅前にイオンなどの入る大規模ショッピングモールがあるので、そこへ立ち寄ることにした。
電車で移動するのであれば、安土城にも寄りたいところだが、駅から離れたところに城も博物館も建つ。腰痛の酷くなった今となっては、荷物を持ってそこまで歩くことは無理だ。
子供たちがまだ小学生だった頃、車で東京からの日帰りで、往復千キロ運転して来たことがある。あれから十数年。もはや千キロを日帰りで運転する気力はないが、当時はまだ三十代。午前二時に東京を出て、東名高速で琵琶湖までやってきた。安土城を天守閣まで上り、博物館に立ち寄り、姉川の古戦場、長浜城を見学して、最後関ヶ原の石田三成の陣営まで見に行った。そこから帰路、中央高速で東京まで帰った。東京到着は午前四時。二十六時間の旅だった。昔はそのようなことをしても平気だった。
しかし、年を取るということは実に哀しい。そのような若い頃の感覚だけは残っているので、同じような気持ちで動いてしまう。しかし、確実に体は衰えている。今回それを思い知った。
近江八幡駅前にあるイオンで、キャスター付きのミニトランクを買った。四輪タイプだ。十八リットルと小さいが、トランクタイプとしては最小のものではないか。腰が痛くなると、年を取った時にどの様になるかが良くわかる。十年ほど前に購入した自宅にあるトランクは、二輪のもの。これだと、体重を預けることが出来ない。しかし、四輪のトランクだと自立してくれる。従って、ある程度自分の体重を乗せることができる。つまり杖の代わりにもなる。
街で老齢の方が使用しているキャスター付きバッグをよく見てみよう。四輪で自立しているはずだ。二輪のものはまずない。母が四輪のキャスター付きキャリーバッグを購入して、しきりにその効用を話していた。なので、迷わず四輪小型のトランクを選んだ。セール中のものだと四千円くらいからあるが、私は、バッグメーカーとして、定評のあるエース社製のものにした。トランクはキャスターが壊れたら終わりだ。とにかく転がせなくなったトランクほど困るものはない。九千円近くしたが、今後も使えるものを、と考えて、しっかりとしたものを購入した。旅先でこのような思いをした時に買ったものは、その後、思い出の品として、家に残ることが多い。私もこのトランクを目にする度に、この苦しい腰の痛みを思い出し、反省することになるのだと思う。
守山から近江八幡まで、列車ではわずかに十二分。そこから彦根までは十二分。三十分もかからずに、次の目的地の彦根についた。三十数キロあるので歩けば八時間はかかる。朝八時に出発して、休憩を取りながら、午後五時頃ようやく彦根に到着するほどの距離だ。鉄道がここ百年ほどの間に、いかに人々の生活を変えたのか。実感する。
東海道と異なり、中山道沿いのホテルは数が少なく、当日キャンセル無料のところが選びにくい。東京へ帰るにしても、次の大垣まではキャンセル料がかかってしまう。なので、そこまでは、鉄道に切り替えて旅を続けることにした。
四輪キャスター付きのトランクは実に楽だ。背中から荷物が開放されるだけではなく、杖の代わりにもなる。すべての体重を乗せる訳にはいかないが、四分の一くらいは体重を預けられるような感じがする。思い返せば四日市駅前で、軽いザックに買い替えた時に、ちらりとキャスター付きのバッグが思い浮かんだ。しかし、その後の百四十キロの徒歩移動には、さすがに耐えられなかったのではないか。もしもそれをするのであれば、自転車に荷物を載せて、引いて歩くというのも良いかとも考えた。しかし、引いている意味がわからなくなり、きっと乗りたくなる。まだ痛みに耐えられるレベルだったので、結局軽量ザックに変えて歩き続けることにした。
ホテルのチェックインは午後四時からなので、荷物を預けて彦根城へ行くことにした。彦根は徳川四天王の井伊家が治めてきた。豊臣時代は佐和山城に石田三成がいた。尾張関ヶ原方面と北陸方面に分岐する交通の要所だ。実際、鉄道も次の米原で北陸と美濃方面とに分かれる。
彦根城のある琵琶湖側は、以前と変わらぬ町並みだ。ほぼ前回子供たちを連れてきたときと変わっていない。しかし、反対側の景色は大きく変わっていた。当時は駅前に出来たばかりのコンフォートホテルがあるだけだった。今回その周りの空き地にロードサイドでよく見かける大型の店舗。その裏手の街道筋にはイオンタウンが建っていた。
古い町並みの商店街とロードサイドに建つ大型ショッピングモールは対照的だ。古い町並みと言っても、それは江戸や中世の町並みということではなく、昭和の高度成長時代の面影を残す町並みということだ。一方大型のショッピングモールは、イオン、ららぽーとのような広い敷地と大きな建物で出来た店内に、多様な業種を集約した施設。個人商店が横一列に並ぶ個性豊かな人々の織りなす店舗と、日本全国どこへ行っても均一同一な商品が手に入るショッピングモール。どちらが見て楽しいかといえば、個人商店だが、一方でオーナー側で工夫がないと、ただただ古臭い欲しくないものだけが並ぶ商店街となる。
街道歩きをしていると、必然的にこの諸行無常を考えることに至る。結局の所、古い町並みはそこに暮らしている人々の衰えとともに廃れていく。当初は若者ばかりが集まっていたショッピングモールも、やがて若者がおじさんとなる頃、街に無くてはならない広場となる。
日本全国均一な商品構成は、都市の流行りに敏感な若年層にとっては、薄くしかし広範に広まるリアルな都市部の流行商品情報を実感できる唯一の場所となる。一方の商店街は後継者がなく、商店主の年令とともに感覚が古びて、商店主の若かりし時代の定番商品の供給を継続したあと、やがて終焉する。
大型ショッピングモールの裏手に、中山道の鳥居本宿がある。近江鉄道に乗ってひと駅、訪れてみた。駅前には県道が走り、ひっきりなしに車が流れている。今も交通の要所であることがよく分かる。そこからわずかに百メートル。通り一つ中に入ると、昔ながらの中山道が南北に走っている。宿の構成はどこも同じだ。日本中のイオンモールやららぽーとが同じ構成であるのと同様、本陣があり、脇本陣があり、旅籠があり、旅人のためのお店が並ぶ。しかし、今や誰も歩いていない。車も通っていない、人も住んでいないのではないか。気配のない家々が続く。
江戸の時代から百五十年。鉄道の時代から自動車の時代と二度大きな変化に見舞われている。そしていまやインターネットによる変化の波が、世界中に行き渡った。
鉄道が宿場に与えた影響は大きかった。街の中心が駅に移った。そして、自動車の普及が幅の狭い宿を避けたところに新しい人の流れを作った。鉄道の駅を中心とした人の流れが、国道、県道の車の流れを中心とした人の流れに変わった。そして今、どこにも存在しないバーチャルな空間上で、人々は行動を始め、その情報の影響によって、リアルな世界が変容するように変わってきている。
近江鉄道の車両が、どこか懐かしさを感じさせると思ったら、私が子供の頃よく乗っていた、西武鉄道の車両を使用していた。鳥居本の駅に滑り込む車両は、まるで西武新宿線の萩山あたりの光景と重なる。
古くなったからと言って、すべてのものが不要になるわけではない。古いものにはまたそれを活かす場所がある。かつて西武線として使われていた車両に乗り、彦根の駅に向かいながら、そんな事を考えていた。